キングダム展に行ってきました。
最後の方の展示に感動して泣いてしまいました( ;∀;)
映画でもあるまいし、まさか原画展で感動しすぎて
泣くとか思わなかったので驚きました。
キングダム展恐るべし…
というわけで感想を共有します。
原先生の想いを体感できる
キングダムを体感できる展示にしたいという趣旨が原先生にはあったとのこと。
でも個人的に思ったのは、キングダムそのものより
「キングダムに対する原先生の想い」を体感できる展示だったと思います。
展示会描きおろしの絵を見るとその辺りがよく分かります。
大きな王騎将軍の絵とか、降り注ぐ矢から嬴政を守っている時の紫夏の絵など、
展示会描きおろしの絵はどれも臨場感たっぷりでしたし、
パネルの配置の仕方も迫力を感じさせるようなものが多かったです。
その中でも目を引いたものが3つあります↓
・デカすぎる王騎将軍の絵
・嬴政と呂不韋の舌戦シーンの展示
・流尹平野での輪虎と信
今回この3つについて語っていきます。
王騎将軍のデカさ
一番初めに「おっ!」となったのは何といってもデカすぎる王騎将軍の絵です。
デカい王騎将軍に対して信が
「デカすぎて解んねー」
と言っているシーンの絵です。
この絵を見て思ったのは、やっぱり大きな存在と遭遇した時って
単に大きくて立派なだなーと思うだけじゃなく、
解らない!
ってなるのもポイントだなと思わされました。
王騎将軍との出会いのシーンは今までスッと流していましたが、
今回の展示会を見てこれに気づくことができました。
尊敬する存在に対しては、単にデカいだけでは憧れにはならなくて、
「解らない」と思うからこそ憧れになる、ということです。
実際、ここのセリフは「でっけー!」とかで終わっていてもいいはずなんですよ。
でもそこで終わらずあえて「解んねー」って付けたんだなと思い、
そこのところがやっぱり原先生の凄さだよな、と。
解らないことがあるからこそ、指針となるべき人の背中を追い続けたくなるわけですよね。
そういう、どこまで追っていっても限界が無さそうな感じが醸し出されていて、
王騎将軍の大きさを体感して欲しいという意図が伝わってきました。
ありきたりな感動体験…ではない
あとは最後の方の展示ですね。
紫夏が嬴政を守っている時の絵から始まり、
嬴政と呂不韋の舌戦が展開されるあの辺りの展示です。
呂不韋と嬴政が、目指す天下のあり方について舌戦を繰り広げ、
最終的に嬴政が「勝つ」クライマックスの場面があります。
感動しました。
こっそり泣きました。
目の周り赤かったのか知りませんが、
通り過ぎるスタッフさんが私の顔二度見してきて恥ずかしかったです(-_-;)
“コイツこんな仕掛けで感動してやがる”
とか思われてるんじゃないかと心配でした。
特に感動したのは、人の持つ本質が光であることを嬴政が説明する際、
王騎将軍や麃公将軍など、色んな面々がわーっと出てくる感じがたまらなかったです。
あのシーンが展示会場の大きなパネルで表現されていて、
色んな立場のキャラたちが思い思いに光を放つ姿がすごく感動を誘います。
でも結構疑問なのは、
割とありきたりな人生訓のように聞こえる言葉なのに
なんで「ありきたり感」がないのか、ってところが疑問でした。
ここらへんは個人的な感覚かもしれませんが、
原作を読んだときから自分の中で疑問で、
もらった恩を送るとか、死んでいった仲間の分まで生きるとか、
そういう話はぶっちゃけ他の作品でもよくある話なのに、
他の作品と比べてなんでここまで感じ入ってしまうのかなー、と。
もう30歳になったから涙もろくなったのか!?
とも思いましたが…
なぜ
「いつもの努力、友情、勝利的なやつね~」
と安易に思わなかったのか…
はっきりした理由は分かりませんが、
でも一つヒントのようなものはこの機会に見つけることが出来ました。
それは呂不韋がしっかり理論武装して
嬴政に対抗したからだと思ってます。
嬴政はズバッとクリアカットに人の本質について語りますが、
それを否定する呂不韋側の理論もかなり威力があったのがポイントだと思います。
つまり、一つの理論に凝り固まらずに、
「複雑な議論の複雑さをそのままに表現すること」
この辺りの描き方がかなり上手かったからこそありきたり感が
なかったんだと思います。
もう少し具体的に言うと、、、
反対する側の呂不韋の言い分も筋を通して
しっかり描くことで、嬴政の人の本質に対する決め台詞も
「簡単には導かれなかった結論」なんだなーと感じさせるんですよ。
対抗する呂不韋にも立場があって、
その他のキャラ達にも立場があって、
それぞれの仕方で「人の本質」ってものを光らせてきた結果
なんだっていうのが全体から読み取れるから
十分練られてる感じがするんだな、と思いました。
もっと言うと、
色んな立場のキャラが、ってところが大事で、
嬴政のあの決め台詞も力強いと同時に、
否定されうる、脆くもある二面性を持った主張なんだっていうのが
セリフからも絵からも漂ってくるんです。
これがありきたりな感動体験にならなかった理由かなと推測します。
人間の考えることは否定されたり、肯定されたり、
あるいは否定も肯定もされなかったり、
そうやって常に「動き」のあるものなので
その抜き差しならない感じがそのまま表現されているから
原先生のキングダムには奥行きが感じられて、
ひとつひとつのセリフにも立体感があるんだと気づかされました。
輪虎と信
ここからは私の最推し輪虎がカッコよかったという話をします!(^^)!
以下、輪虎への肩入れ100%のかなり偏った感想です↓
改めて、輪虎は信にとって本当に意味ある存在だったんだなと思いました。
輪虎と信が戦ったのが流尹平野の戦いですが、
その辺りの展示を見ていると、
輪虎V.S.信では殊更に「対等さ」みたいなものが強調されている印象を受けました。
何と言いますか、
どちらも色んな意味で「ガキ」っぽいところがあって(笑)
身長も同じくらいだし、
最終的にはお互いに場数を踏んだ立派な武将だと認め合えたりして、
同じような実力者同士の激しい衝突を描きたかったことが伝わる展示でした。
輪虎と信が横並びになってるところとか、
向き合ってガツンと衝突しているところなどから、
輪虎と信は本当にいいライバルであり良き友になり得たことが伝わってきました。
(展示だけじゃなく、グッズのペン立てからも)
いえ、
友達といいますか、
年齢的にも戦いにおいても先輩なんだけど
限りなく友達に近い先輩みたいな存在ですね。
もし輪虎が生き延びていればそうなっていたんだろうな、と妄想しました。
その死が信に大きな影響を与えたキャラとして、
漂と王騎将軍が挙げられるかと思いますが、
輪虎の死はその二人とはまた違った意味で
信に影響を与えた存在だったんだなと再度実感しました。
漂の死や王騎将軍の死は信にとって「味方の死」ですが、
輪虎の死を経験してから信は「敵の死」にも意味を見出していきます。
「敵」であるにもかかわらずその向き合い方によっては
相手の死を背負わざるを得なくなるまでの関係になるっていう
そういう関係性について
信は輪虎との闘いで学んだのかな、と。
輪虎を討った後でも、敵味方関係なく信が
「死者の意志を背負う」という態度に表れていて、
これはキングダム全体に通底するテーマです。
このダム全体のビッグテーマへのきっかをつくったわけなので
やっぱ輪虎サイコー!
なんて思ってニヤケまくりながら続きの展示を見ていった記憶があります。(^^♪
まとめ
今回ほんの少ししか取り上げられませんでしたが
キングダム展の魅力は他にもいろいろありました。
コラボカフェのメニューが面白かったこととか、
カフェでキングダムのOP・EDが流れていて、
アニメ第4シリーズ・第2クールのOPが実はすごくいい曲だったことに気づかされました。
第4シリーズでメインの「あの三人」をうたった曲だったんだー
と気づけて良かったです!
アニメ見てた時は昌平君のかっこよさに目がいってましたが、
歌詞がほんと「あの三人」の葛藤と出会いを彷彿させる感動ものだったこと
に今更気付いたんですよね。
まとめると、、、
原画展では漫画やアニメでは気づけなかった
魅力に気づくことができますよー
ということを言いたい!
以上です!
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