※ネタバレ注意
※キングダム原作23巻まで読んだ方向けです。
キングダム23巻のオマケマンガ
「山陽戦後日談」への感想と、
それに伴って
廉頗がいかに贈り物の天才か
を語っていきます(^^♪
単に殿の微笑ましいお礼の仕方ってことで
このエピソードを捉えてもいいのですが、
原先生はやはり廉頗を巡って、
交換と贈与のメカニズムの深い部分を
示唆されてるんじゃないかと思いました(^^♪
全くそんなつもりなく、
意識されてないのかもしれませんが(-_-;)
とりあえずじんめんぎょが妄想した
ことを挙げていきます。
ただ、はじめに断っておきますが、
なぜ「人参」というものが贈られて、
時代背景的にこの頃の人参は
どういう意味を持っているか、
ということではなく、
「一見価値のわからないモノ」である
人参が贈られたことがどんな意味を
持つのかを考えたいと思います。
価値が分からない人参
まずは該当のオマケマンガの内容を紹介…
といきたいところですが、
「オマケマンガ」のガチのネタバレは
単行本の売れ行きに関わってくる部分かと
思うので控えておきます。
※目をつけられるのが怖いので一応…(-_-;)
各自でお手元の23巻を振り返られてください。
それで、いきなり結論からいきますが、
なぜ超高級人参なんていう
一見変なものが贈られたかと言うと、
信にとってそれが
価値が分からず他の誰かに渡したくなるもの
だったからだと思ってます。
結局、信はあの人参を放り投げるんですが
どんな形であれ、受け取った信が
自分のものとして手元に置いたままには
しないようなものでした。
でもなぜ別の人に渡したくなるものを
贈るのが凄いことなのか?
それは、信が贈り物を自分だけのもの
にしておいたり、廉頗に「お返し」する
きっかけをつくらせないように、
という仕掛けがひそんでいるからです。
廉頗と信の間だけのものにするより、
別の人にパスして「贈り物」の輪を
繋げていく方がいい…
そんな廉頗側の(ユーモラスな!)
配慮がここで働いてるんじゃないか?
と思えてきて、凄いなと。
ちょっとわかりずらいので
もう少し説明すると、
人参を受け取ったその時、その場で
信は人参の価値を理解できませんでした。
でも、その人参は実はすごく価値のあるもので
“後々信が誰かに渡すor共有すること”
によって、いずれ価値の分かる者の手に渡り、
じわじわと後から価値が見出されるような、
そんな性質をもった贈り物をしたわけです。
下僕出身の信だけでは
価値を理解できないで、
それを誰かにパスすることによってしか
見えてこない贈り物…
そんなものを廉頗は信に贈っているわけです。
なんでこんな回りくどい
ことをしているかというと、
信に「お返し」の気遣いをさせないように、
贈り物を贈り物で返して、
結局「交換」になってしまわないように、
そんなような天才廉頗の配慮が見え隠れしている
ように思えたので、
このエピソードを読んだときは
結構感動しました~
もちろん、廉頗がこのようなことを
バッチリ意識して贈ったと言うより、
「贈り物」ってものが本当はどんなものか
経験上知っていて、
無意識下であの人参を選んだん
じゃないかと思ってます。
この廉頗の凄さは、今回のエピソードだけだったら
たぶんピンとこなかったんですけど、
これまでの(特に輪虎への)贈り物を振り返ること
によって見えてきました。
廉頗をとりまく贈与の輪
人参のエピソードの構造を知ると、
廉頗周辺では、
単に贈り物を渡す人&
受け取る人の二者間だけではなくて、
さらに“その先に控えている誰か”
ともかかわってくるような贈り物
ばかりが出て来てたんじゃないか?
ということに気づきます。
ほとんど輪虎に絡んできますが、
大きく三つあると思ってます。
輪虎の剣
なぜ廉頗は二本も曲刀を贈ったのでしょうか。
二刀流の武将がなぜ二刀流なのか、
時代背景的なところは存じ上げませんが、
「贈り物」の文脈で考えると
これは二本あることによって、
片方を誰かに譲渡しやすい状況を作り出している
のかもしれないな、と思えてきます。
二本用意されていることによって
あらかじめ誰かの手に継承されやすい状況
を設定してあげているかのように思えてきました。
二本あったら、
「じゃあもう一本誰かに渡すか」
ってなる可能性高くなるじゃないですか…
輪虎は二本とも大事にしてましたし、
事実として輪虎が譲るかどうかはともかくとして、
他に渡されやすい条件の元、
輪虎の剣は贈られていたんじゃないか
と思いました。
そんな感じで、廉頗は単に
輪虎ひとりのために剣を贈ったというより、
輪虎の先に控えている、
輪虎の意志を継承していく誰かへの
配慮ってのがあったんじゃないか、、、
と思うのは考えすぎでしょうか…?
輪虎の身体(遺体)
輪虎の身体は餓死寸前のところを拾われて、
死体になった後もまた拾われていて、
あの展開は何だか意味ありげですよね。
輪虎の身体が人から人へ渡って
ぐるぐる回っている、みたいな。
ここは私の思い込みかもしれませんが、
信が輪虎の遺体を廉頗に届けたことで
やっと輪虎の廉頗へのお返しが
完結したんじゃないかと思うんです。
餓死寸前のところを拾われて、
その恩を廉頗に返そうと奮闘してきたわけですが、
その努力ががなんだかやっとひと段落した
みたいな感じがありました。
それもそのはずで、
ここで何が起こっているのかと言うと、
贈り物のお返しは受け取り手と
贈り手の二人だけではなくて、
さらに贈り物を継承していく三人目
が必要というところが浮かび上がってきます。
イメージとしては、
お祖父ちゃん&お父さん&孫
の三人がいる感じです。
孫の存在こそが
お父さん→お祖父ちゃんへのお返し、
みたいな感じです。
※玄峰さまを輪虎が祖父のような…
と言っていたのもある意味示唆的。
もちろん、
輪虎の努力は十分廉頗に伝わっていますし、
恩返しはなされているのですが、
恩返しが等価交換にならないように
“贈り物”として返すと言いますか、
受け取ったものに対する
輪虎ならではのお返しをするためには
信という第三者が必要だった、
ということが見えてきます。
伝わりますかね…(-_-;)
遺体を贈って、人参になって、
その人参がまた人の手に渡って…
贈与の輪がくるくる回っていく
ことこそが恩返しなんだってことです。
その贈り物が信にまで行き届いたこと
が廉頗に伝わってはじめて
輪虎の廉頗への恩返しは完結しました。
天からの贈り物
最後は輪虎自身が言ってたこと
なのですが、
「天の与えし廉頗の剣」ってのも
すごいですよね。
どうすごいのかというと、
輪虎は自分の実力も確かにあるけれども、
それを「天」からもらったものとすることで
その贈り物が誰かに渡しやすいもの
なんだってことを暗に示している、
とも取れるからです。
「天」からの贈り物、とすることで
他の誰かに渡しやすくなるんですよー
才能は私有物ではなくて、廉頗を通じて
与えられたものなんだっていう、、、
その感覚を強調したくて「天」
っていうのを持ち出してきたのかもしれません。
と言いますか、
そうだったらいいなーという
私の妄想です。(#^^#)
まとめ
以上です。
これまで見てきたように、
廉頗が贈るもの、あるいはその周りでは
誰かに渡される、あるいは贈られることを
前提にした贈り物がたくさん出てきている
ことが分かります。
贈り物が一か所にとどまる
ことを許さないわけです。
受け取った人が次の人にパスすることを
促すかのようなものや状況が
揃っているんですよねー
そもそも、餓死寸前の輪虎を
拾ったエピソードからして
すごいんですけど。
贈り物の天才ってのは、
誰も見向きもしないような、
道端に落ちているものでさえも
自分への贈り物なんじゃないかと考えて
拾うことができる人だと思っていて、
その時点でやっぱり
廉頗は贈り物を受け取るプロ
でもあるんですよね。
廉頗にとって、その時の輪虎は果たして
役に立つ存在なのかどうか、
分からなかったはずなのに
拾ったってところが天才的だと思ってます。
スゴイスゴイしか言ってませんけど( ;∀;)
殿がいかに贈り手としても
受け取り手としても凄いか
伝わりましたでしょうか!?
気の向くままに書いていきましたので
伝わりづらいかもしれませんが、
そんな感じです~
※今回も贈与論などを参考にしました。
原泰久『キングダム 23』集英社、2011年
マルセル・モース『贈与論』筑摩書房、2009年
ブロニスワフ・マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』講談社、2010年
クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』青弓社、2000年
内田樹『困難な成熟』夜間飛行、2015年
近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学」ニューズピックス、2020年

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