じんめんぎょが輪虎ロスを乗り越えた方法

※ネタバレ注意

原泰久氏原作作品『キングダム』に
登場する敵将の一人、輪虎将軍推しで、


主人公の信に討たれてからなかなか
ロス感をぬぐえないあなたへ。

完璧に乗り越えたわけではない
ですが、それなりに落ち着いてきたので

じんめんぎょ流、
「輪虎ロスの乗り越え方」を
お伝えいたします。

はじめに、じんめんぎょの勝手な
輪虎解釈をお伝えします。


その解釈の延長上にどうやって
ロスをなんとなく乗り越えたのか
ってところを話します。

先に答えを言うと、

輪虎将軍が私にとって
単なる推しキャラだったところから、
「先生」として捉え直しができた
ってことが一番の要因です。

長い話になるので
ミルクティーでも飲みながら
ゆったり読んでください。

私たちは輪虎将軍の何に惹かれているのか

まずはじめに、

私たちは輪虎将軍の何に
惹きつけられるのでしょうか。

かわいらしい顔?
かっこいい突破力?
声から漏れ出る若干の色気?←アニメ

それだけですか?

もっとあると思うんですよ。
もっと大事なところが、、、

それは、

輪虎将軍が独自に生み出した
人生の分からなさへの姿勢
に惚れてるってことです。

どういうこと?
ってなったかもしれませんが、
つまり

人生と出会いの不可解さと
その分からなさへの向き合い方

一番よく教えてくれてるから
なーんか思い入れがあるんですよ。

ここでのポイントは
輪虎将軍は何も「天の計らい」
について語りたかったわけじゃない
のではないかってところです。

ん?
あそこまで天天言ってるんだから
それについて信に語ってるんだろ、
と私もはじめ思ってましたが

あれはたぶん「天の計らい」について
語っているのではなく、

不可解な偶然性
ってのはこういう風に自分で
解釈するんだよ、

っていうそのやり方そのもの
信に教えたかったんだと思ってます。

「天」っていうものについて
語ってるわけじゃないんですよ。


ほんと
ここらへんはマジで
じんめんぎょの勝手な解釈ですけど。

でもこれに気付いてから
輪虎将軍の発言を振り返ると
やっぱりこれだよなっていう
ところが多いように思えたので…

具体的にどういう
ことなのか見ていきましょう。

輪虎将軍の語る「分からなさ」


輪虎将軍は飢え死にしそう
なところを廉頗に拾われて、
その偶然性に対して

偶然だとは思えない
ってことにしてます。

偶然だと思うかい?
結果的に戦いの天稟があった僕と廉頗
“戦いの天才”が“戦いの大天才”に拾われたことを

原泰久『キングダム22』

何故そうなってるのか
よく分からないけれど
どうにも「計らい」を感じてしまう。

だから輪虎将軍はこの出会いを
単なる偶然ではなくて「計らい」
によるものだと解釈します。

同時に、ポイントになるのは、
ここではじめて
「人生の分からなさ」っていうものを
輪虎将軍は捉えることになった
ってことです。

この「人生の分からなさ」で
言えば、こちらの発言も↓

いくら才能や実力があっても
“幸運”という天の働きがないと
武将なんて道半ばで命を落とすよ
そういう武将を大勢見てきた

原泰久『キングダム19』

才能や実力など、
要するに武力があっても
どうにもなないところ。

そのなんともならなさに対して
葛藤してきた武将なんだって
この発言で分かります。

そして、これまで自分より
強い武将が倒れていった
場面に遭遇した時、
多分玄峰に聞いたんです。

―どうしてあの人は僕より
強いのに負けて死んでしまったの?―

※多分ですよ多分(汗)

これらから分かるように
ものすごい人生の不可解さ
っていうのを抱えてきたんだろうな
っていうのがチラチラ見えるんです。

なので、ぽっかーんと
空を見上げるシーンが印象的なのは、

その分からなさを
分からなさの中で
味わっている姿勢なんですよ。

あとは、信にボロボロにされた時
の心の声ですね。

時代はやはり次の戦乱の世へ
移ろうとしています
ひょっとしたら殿が亡命し前線から退いた
あの時…僕の役目は終わっていたのかも知れませんね
それでも今ここで戦っているのはこれもまた天の計らいか

原泰久『キングダム22』

このセリフですよ。
これ。

「だろうか」って
言ってるから本人も
天の計らいが分かっていない(笑)

分からないけれど
分からない大きな流れに対しては
そういうふうに折り合いをつける…

どこまでいっても、
どうあがいても
逆に答えが出ないんだってことを

教えてくれてるんですよ。
この将軍は。

こんな感じで輪虎将軍は
人生の不可解さとバッチり向き合って
来たってのが見えてきます。

そして、
信にボロボロにされて
「時代の流れ」でも役割が終わってて、


結局天に見捨てられたような
状況になってもこんな
「天の計らいだろうか」っていう
「解釈」をしてるんです。

次は人生の不可解さの
中でこの将軍がどう「解釈」してきた
か、その向き合い方を見ていきます。

輪虎将軍が「分からなさ」の中から見出したもの


人生の不可解さ、わけの分からなさ
について輪虎将軍から学ぶことが
できると言いました。

今度はさらに進んで、

「分からない」からこそ
自分にしか作れないストーリー(解釈)
を創造する余地がある

ってことも
この将軍は教えてくれてる
ことについてです。

ここまで来てもう
分かると思いますけど、

輪虎将軍の天に関する発言
は全部ぜーんぶ彼の
オリジナルストーリーです。

一つ一つの出来事は
実際に起こったことかもしれませんが
それを繋ぎ合わせて独自の
ストーリーに仕上げています。


輪虎将軍オリジナルの
人生に対する解釈です。

玄峰に教えられたってのも
ありますけど、

自分がかつて飢え死に
しそうなところ、奇跡的に
廉頗に拾われた経緯をもって、

自分なりの「天の計らい」
ストーリーを構築しているんです。

そして、その自分のストーリーを
構築していく中で導き出された
のが、自分は

「天の与えし廉頗の剣」

という結論です。

廉頗が廉頗として、
殿が殿として活躍できたのは
この僕との奇跡的な出会いが
あったから…

この僕以外の誰にも
殿の片腕にはなれない…

多分そういうことにしたんです。

このように、
独自に導き出された
ストーリーに基づいて人が生きる時、

それはおのずと
「責任」というかたちをとります。

だからこそ必然的に

殿が…待っている
こんな所で負けられない

原泰久『キングダム22』

という言葉が出てくるんです。

どこまでいっても
どんな事態になっても
自分にしかできないことがある
ってことを

輪虎将軍は自分でストーリー立てたんです。

ここで重要なポイントは
「自分にしかできない」です。

それは自分しかおそらく
経験していないであろうこと
から紡ぎだされるわけです。

輪虎将軍なら飢え死に
しそうなところを廉頗に
拾われたっていう経緯です。

こういった「分からなさ」
から自分にしかできないことを
紡いで、独自性を生み出すことができる、

このことを
おそらくこの将軍は
語りたかったんだと思います。

と言いますか…

作者の原先生が
この将軍に担わせた役割
ってのがこの辺りにあるんじゃない
かと思ってます。

輪虎将軍が私にとって「先生」になった理由

先ほど、
「分からない」からこそ
独自ストーリーが紡げること、

さらにそれは「責任」というかたちを
とる、と言いました。

「責任」っていうのは
こういう風にして勝手に
つくられていくものだ、、、

という点も
欠かせないところです。

『キングダム』全体に流れている
テーマが組織における責任
ってところですが、

やっぱり原先生は
輪虎将軍を通しても
ここら辺について固めておられる
んだなーと思いました。

責任を積極的に負うってのは
このことかぁー
とじんめんぎょはこのとき
思ったのですが、


責任論に関しては色々あると
思うので、ここらへんにしときます。

要は、分からないからこそ
そこには無限の可能性があって、
無限の独自ストーリーが紡げる
ってことです。

ところで、私たちは何故
輪虎将軍を推してしまうのでしょうか。

それは私たちも輪虎将軍同様、
ここぞ最大の魅力!というポイントを
独自で解釈して、

しかも、
その解釈が一人ひとりファンの間でも
違うと思ってるからかと。

各々、自分しか受け取らなかった
推しの良さを


何としても推していきたいと
思っているわけです。

経験あると思いますが、
皆が皆同じように
そのキャラが好きで、

もうすでに良さが
語りつくされているような
キャラってそれほど推したい
と思わなかった経験ありませんか?

たぶんあなただけの
推しの魅力の引き出し方
があるはずで、

だからこそ
応援し続けているんだと
思います。

なので、もっと自分が頑張って来た
こととか、

そういうのを推し活に混ぜていけば
もっと推しが生き生きしてくるん
でないかと思うわけです。

私自身、これを書いているのも
輪虎将軍を知ったことは
偶然じゃないって思っているからです。
(偶然ですけど)

実はこれまで語って来た
輪虎解釈にはベースになってる
理論がありまして、

「贈与論」っていう分野で
繰り広げられるもろもろの理論を


あれやこれやして
輪虎将軍と結びつけているんです。

世界広しといえども
輪虎将軍にぞっこんで、


なおかつ贈与論をかじってる人は
私しかいないと思うから…
(絶対いますよ、どこかに。
同じ受け取り方してる人。)

輪虎将軍に
「僕の魅力を引き出してよ」
って言われている気がするから、


推しが背中押してくれてる気がするから(笑)
こうやって書いてしまってます。

以上です。

こんな感じで、
いろんな学びがあった
わけなので

この時じんめんぎょは気付きました。


もう私にとって輪虎将軍は
「先生」なんだ、と。

推しキャラであると同時に
なにやら「先生」と
化してしまっている、と。

単に推しの対象ではなく
ずっとこの人から
学び続けられるんだと思ったとき、
なんかほっとしたんです。

どこまでいっても輪虎解釈は
完結しなくって、無限に続くと
思い込んでるからかもしれません。

でもこの感覚はたぶん
輪虎将軍によって演出された
独自解釈につられるようにして
湧いてきたものですけどね。


この感覚が伝わるかどうか
知りませんが、
推しが「先生」として昇華されて

なんとなくロス感乗り越える感覚を
辿ってもらえればと思います。

追伸

先ほども書きましたが、
今回考察の土台にしたのは
贈与論界隈の研究です。

この領域について語ってる
本の中で一番影響を受けたのは

何と言っても
内田樹氏の『先生はえらい』です。
(内田樹『先生はえらい』筑摩書房、2005年)

いまいちまだじんめんぎょの
言ってる意味わかならいという
人は『先生はえらい』を
是非読んでみてください。

余計分からなくなる
かもしれませんが…

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