失敗についてこの頃考えることが多くて、
もっと考えを深めたいなと思っていたところ、
内田樹さんがすごくいいこと書いておられるのをみつけたので
その紹介と感想です。
いやー
このごろホント失敗失敗失敗の
オンパレードで、
もう誰かにミスを指摘されるたびに
自分を責める日々が続いていて、
いったいつまでこんなこと続けてるんだろう?
って意識になってくるんですよね。
今にはじまったことではないんですが、
仕事を正確にこなすことがこの世の
すべてなんじゃないか、とか
どこまでいっても
私の不注意は救いようがないんじゃないか
なんて思ったりするのでした。
そんな折にみつけたのがこちら↓
「失敗」というのは実は非常に身体的なことなんです。個性的と言ってもいい。
内田樹. “自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ”. 内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2022/08/06_1128.html
またまた内田さんらしい、
グルーヴィーなこと書いておられる!
と思ってすっごい嬉しくなりました。
失敗は身体的で個性的だって!?
そんなふうにミスを捉えられたら楽しいよな~
と思いました。
普通、失敗は改善するべきものなのに、
ここでは個性を発揮するものであり、
身体性と深くかかわることが
示唆されていてすごくワクワクします。
個性的、というところについてもう少し
触れています↓
僕がする失敗はすべて「いかにもウチダがしそうな失敗」という個性の刻印を黒々と押されています。「これはウチダならしそうもない失敗だなあ」というような感想を持たれるような失敗を僕はした覚えがありません。ぜんぶ「ウチダ印」付です。
内田樹. “自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ”. 内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2022/08/06_1128.html
失敗って確かに人間味がありますよね。
そして最後の方はこんな文章で締めてます。
自分の失敗をどれくらい言葉にできるかは自分をどれくらい観察しているかに相関します。だから、失敗というのはとてもたいせつな素材なんです。でも、それは「反省日記」みたいなものではないんです。そんなこわばったものを書いても仕方がない。誰かに見せるわけじゃなくて、自分の失敗を「愉快に」書いて、自分で「納得する」というプロセスを繰り返すことがたいせつなんだと思います。
内田樹. “自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ”. 内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2022/08/06_1128.html
いやぁ、自分を観察することで
はじめて「失敗」を言葉にすることが出来るなんて!
面白い…
「失敗」ってのが奥の深い
自己分析のツールになるなんて知りませんでしたよ!
そして、「反省日記」を書いても仕方がない、
と切り捨てておられるのが潔くてキモチがいいです~
仕事でうっとおしい対策書をよく書きますが、
そのつまらなさを代弁してくださってる
みたいでなんとも…グー
以上、
失敗を研究してくことがすごく楽しみになったのと
少しだけ元気になったので紹介させていただきました。
あと、この失敗の話が出てくるのは
失敗をメインテーマにして
書いておられる記事ではなくて
自分の「ヴォイス」をみつけるための
作文の方法について書いておられる記事から、
というのがまた面白かったです。
思いもかけないところから
ヒントを得られたことで
テンション⤴してしまいました。
コメント