今日は問いの魔力について
語ります。
問いと地平
問いには、
固定観念を壊すはたらき
があって、
それゆえに
今までつかめなかったもの、
手が届かなかったもの、
触れられなかったもの、
それらに近づくような、
可能性を開かせるはたらきが
問い求めにはあります。
硬い観念の壁を崩して
あらたな地平が開ける感じです。
本当に?
って思うかもしれませんが、
実際に何か問いを
考えてみてください。
5W1Hに従って
問いをつくるのが
一般的ですね。
昨日の晩御飯はなんで
さんまだったんだろう?
推しのことが好きすぎて眠れないのは何故?
仕事いきたくないけどなんで
働くの?
もっとコアなやつだと…
人生って何?
何で私は私なの?
私たちはどこへ向かっているの?
上のは
哲学チックになってますけど
なんだか当たり前に思ってたことが
崩されるような、
ちょっと不思議な感じがしますよね。
問いと差異
なんでこんな不思議な感じか
するかというと、
問いが発生するところには
差異があるからです。
食い違いですね。
この違いを意識させるからこそ、
当たり前が揺らぐわけです。
当たり前が揺らいで、
そのスキマから
新しい知見とか、世界観とか
そういうのがチラチラ
見えてくるんです。
これが可能性の予感で、
これまで遠いと思ってた
ものに手を伸ばせば近づける
予感につながります。
これ、結構ワクワクしませんか?
「問い」を考えることで
色んな可能性で遊べるんです。
問いと遊び
なので、私の場合、
問いってのは
答えを求める「問い求め」でもある
けれど
同時に色んな可能性で遊べる
「問い遊び」でもあるんですよ。
そうやって考えてみると、
分からないことや
問いたくなることが
この世にはたくさんあって、
だからこそ
色あせた日常に見えても
捉え方によっては
まだまだ探究の余地というか
「遊べるな」って思うんです。
そういうワクワクが
結構ころがってるので
毎日がつまらん人は
一度当たり前を
問い直してみてください。
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